朝、繁華街から角一つ折れた先にあるオープンテラスで朝食を取っていると見知った顔が見えた。
「おー、歩ー!」
黒縁の眼鏡を掛けた少年。
先日天野の屋敷で少しだけ話をしたが叱られてしまったのを思い出す。きっと真面目なのだろう。そしてきっと、翔よりずっと魔法について詳しい筈だ。
名前を呼ばれた彼はこちらを見るとあからさまに嫌そうな顔をするも、すぐさま立ち去ろうとはせずに足を止めた。
「どっか行くのかー?」
テラスの柵へ寄り掛かりながら手を振る。
なんとなく無視して行ってしまいそうな雰囲気だったのだが、よくよく見れば翔と一緒に居る司を見て固まっていた。
どうしたのだろうと司を見るが、彼女はマイペースにサンドイッチを啄ばんでいる。歩を無視しているというより目の前の食事に夢中で気付いていないといった雰囲気だが。
ではと香奈を見るも、翔の服を摘んだまま俯いていた。目の前に置かれた朝食もほとんど手をつけていない。
するとこちらへ駆け寄ってきた歩が翔にだけ聞こえるよう小声で言う。
「なんで司さんと一緒なんですかっ」
「なんでって、昨日森の中で出会ったから」
翔が投げた荷物に潰されたまま眠っていた事は黙っていよう。言えば昨日以上に怒られてしまうかもしれない。つっこんで聞かれたらどう答えようか、そんな事を考えていた翔だったが、歩の様子がどうにもおかしかった。
「どうかしたのか?」
「い、いいいいいいえ!? なんでもございません!」
緊張でもしているのか、視線があちらこちらへと遊泳している。常に司を中心としているので非常に分かりやすいのだが。
「これから用事?」
「先生に頼まれて買い物を…」
「先生って?」
「唯さんの事です。僕はあの人の弟子ですから」
「そうなんだ。実は俺も誘われてるんだけど、そうなったら歩が兄弟子なんだな」
「……兄弟子、ですか」
ふと視線を戻してこちらを見る。期待と疑心が入り混じったような目。初対面での事もあるが、どうにも彼には嫌われているような気がしてならない。
瞳が薄茶色なのは異国の血でも混じっているのだろうか。
「まだ決めてないんだけどね、やりたいこともあるし」
「そうですか」
あっさり答えて荷物を持ち直す。よくよく見れば、小柄な彼にとっては大荷物とも言える量だ。袋は持参していたらしいがそれでは足りず『レジ袋削減にご協力下さい』と書かれた袋を指に引っ掛けるようにして持っている。
エコバックには翔も賛成ではあるが、こう袋にまで書かれていると何かのついででふらりと立ち寄るなんて事を躊躇ってしまう。
「荷物、持とうか? 軽く回ったら一度お屋敷まで司さんを送るつもりだけど」
「いえ、慣れてますから」
にべも無く断られるが、うっすらと笑みを見せた歩に少し安心する。いきなり怒らせてしまったので気難しい子なのかとも思ったが、そうでもないかもしれない。
「ではこれで」
「歩」
礼儀正しくお辞儀をして去ろうとする歩を司の声が止める。
歩は思いも寄らなかったという風に驚き、先程以上に緊張した様子で司を見た。
「……気を付けて」
だらだらと引き摺るような声で姉の弟子を気遣う司。力無く告げられた言葉ではあるが、それは十分に気持ちの篭ったものだった。
しかし、
「歩?」
歩の見せた反応は、戸惑いと憤り、そして悲しみだった。
実際にどうかは分からない。ただ翔の目にはそう映った。
顔を隠すように伏せた彼へどう声を掛ければいいのか、思わず翔は司へ目を向けるが、彼女は何事も無かったように食事を続けている。
なんとも、微妙な空気。
「………」
それを打ち破ったのは、翔の服を掴んだまま俯いていた香奈。
「どうした?」
ほんの僅かではあったが服を引っ張られた感覚があったのだ。
問い掛けに彼女はゆっくりとテラス内の、ちょうどここから反対側に座る三人組へ顔を向けた。ニットの帽子を被った長身の男に柄物のシャツを羽織った男、後はスーツ姿の女。組み合わせが妙ではあるが、別段なんの事は無い一団に見える。
「知り合い?」
問うと同時に動きがあった。
それは香奈でも三人組でもなく、柵の向こうに居た歩。
「逃げて下さい!」
「え?」
戸惑いの間も無く、乗り出した歩は司の手を掴んで走り出す。それに呼応するように三人組が慌てた様子で立ち上がり、女は電話、残る二人がこちらへ駆け寄ってきた。
「ちょ、何なんだよ!?」
「いいからこっちに!」
「いやいきなり言われ、ておわっ!?」
突然走り出した香奈に引っ張られ姿勢を崩しながらもすぐに立て直す。こういう不意の転倒じみた事は山ではよく経験していたので、そのおかげがあるかもしれない。
手を繋いでいながら全力で走る翔を更に引っ張るように香奈が先導する。今の今まで消沈していた人間の動きとはとても思えない。こうして翔がされるがままに引っ張られる事からしても何がスポーツでもしていたのだろうか。
あっという間に先を走っていた歩に追いつき、ついでに掴んだままだったトーストを齧る。まだバターも塗っていなかったので味気無いが今から取りに戻る訳にもいかないのだろう。
「トーストなんて齧ってたら、曲がり角でぶつかるかな」
「なんの話ですか」
「で、なんなんだアレ?」
「……こちら側の人間です」
「こちら側?」
言ってふと浮かんだのは、魔法使いという言葉。歩に手を掴まれたまま頼りなさげに走る司は既に息も絶え絶えにふらついている。彼女や彼女の姉である唯のような魔法使いがもっと沢山居るという事だろうか。
「掴まると厄介ですから、急いで撒きましょう。この周辺なら裏道まで全部把握してますから逃げるだけなら」
駆け込んでいく見るからに人気の無さそうな裏道へ翔も続き、しかし奥へ入ることが叶わず立ち止まった。
「っ…ぁ、っ……はぁ、っ…ごめ、ん、もう無理………」
原因は言うまでもない。
「司さん、お願いします、あと少し」
「無理だ歩」
そう長い距離は走っていない筈だが、立っている事も出来ずに座り込んだ司の表情は青ざめている。運動不足、それだけでは説明に困るような姿の彼女を見れば、これ以上走り続ければただの疲労では済まないとさえ思う。
「けどっ!」
「…皆行って」
「くそっ、良く分かんないけど逃げるんだろ!? 香奈」
呼び掛けると握られた手が驚くほど強く締め付けられた。一瞬それに身を強張らせるが、ふと見えた彼女の顔色が司以上に悪い事に気付く。翔は僅かに戸惑い、頭を抱え、吠えた。
「だー! 分かったよ! 香奈は左手で。司さん、悪いけど担ぐから余り動かないようにしててね!」
「ふぇ?」
言うや否やすっかりリラックスモードに入っていた司を肩に担ぐ。そういえばリュックをテラスに置きっぱなしだったのを思い出した。
「ああ! もうなんか色々グダグダだああ!」
「居たぞ!」
「見つかったあああ!?」
「貴方が叫ぶからでしょう静かにしてください!」
歩の声も大きかった。
「こっちです!」
先行する歩の足は速かった。というより少し前まで歩が司を引っ張っていたのと、今の翔が両腕をまともに触れず、その上人一人分の重さを抱えているのがあるだろう。
ただ持ち上げた時、あまりもの軽さに寒気すら感じた。まるで腰ほども無い子供を抱え上げたような、彼女の身の内に何も入っていないかのような軽さ。とはいえ重みは重み、確実に翔の筋肉へ疲労を蓄積させていく。
「出来るだけ直線がありがたいんだけど!」
「それだと逃げられません!」
人間の構造というのは非常に良く出来ているものだと思う。たった二箇所が動作不能になるだけでここまで走りにくくなるのだから。
「歩、こうなったら魔法で何か目晦ましを」
「何言ってるんですか、そんな便利な事できる訳ないじゃないですか! 第一僕はまだ魔法は使えません!」
「ちくしょー、こんな状態じゃ集中も出来ないって!」
「いいから走って下さい!」
「静かに…してた方が」
肩の上で脱力する司が至極まっとうな事を言うが、その状態で言われるとどうにも薄暗い感情が浮かんできそうになる。彼女は彼女で長い白髪を抑えるので大変ではあるのだが。首の後ろ辺りで両手を使って抑えているものの、残った分がゆらゆら揺れて微妙に気になる。
結構マヌケな感じだった。
「どうかした?」
「なんでも」
しかし裏道は予想以上に入り組んでいた。
時折人の多い道へ入ってはまた裏道へと消えていくこの道順からして、歩はこういったことに慣れているのだろうかと疑問が浮かぶ。実際、付いて行くだけの翔では今自分が何処に居るのかさえ曖昧になってきていた。
それだけに無理な状態で走り続ける翔の足が徐々に限界へ近づいてきている訳だが。
「そこ、右……」
司の言にT字路を左へ行きかけた歩の足が突然止まる。言われた方向を見て彼自身何かに驚いたようで、しかし直後に強い戸惑いを抱いたのが分かった。
「平気。唯姉さんには私が言うから」
「ですけど…」
「大丈夫。権利を与えられてる歩が許可しなければあの人達でも入れない」
「そうではなくて、司さんを――――」
「どっちでもいいけど後ろ来てるぞ! 良く分かんないけど、何か手があるならとっとと行こうぜ!」
「どうしてもって言うなら私を置いていけば良い。翔は一緒に連れて行ってあげて」
降りようとしたのだろう。肩の上で布団干し状態の司が力無く両手足を揺らすが、そんな事を言われて翔が離す筈もなく、すぐに脱力して大人しくなる。
「んんんん、翔……降ろして」
「嫌だね。俺そういう自己犠牲って嫌いだから。全部纏めてハッピーエンドじゃないと気が済まないタイプなの」
「それは、困った」
「歩、事情があるのかも知れないけど、その、唯さんが絡んでるんだろ? 怒られるなら俺も一緒に謝るからさ、今は逃げ延びるのが大事だろ?」
歩の額に嫌な汗が浮かんでいた。歳に似合わず凛々しさを帯びていた瞳が今や頼りなく目尻が下がり、言葉が上手く出てこないのかそれとも別か、唇が小刻みに震えていた。
「どうしても、駄目なら……無理矢理抉じ開ける」
「司さん!?」
「今掴まるのは拙いから」
「そこの四人組、止まりなさい! 我々は――――」
「分かりました! もうどうなっても知りません!」
目に見えて近づいてきた二人組みに翔は壁際に積み上げてあったダンボールを蹴り崩して道を塞ぐ。何かの飲食店みたいだが、後で通うから今だけ簡便して欲しい。
すぐさま歩の駆け込んでいった右側へと駆け込み、
「え!? 行き止まりじゃんか!」
そこにあったのは共用らしきゴミ置き場。木製の大きな箱の前へ歩が手を翳しているが、都合良く梯子が振ってきたり壁が忍者屋敷よろしくに回転する事もない。どこからどう見ても完全な行き止まりだった。
「くっそ、そこのガキ動くんじゃねえ!」
「やっべもう来た!」
柄物のシャツを着た男がダンボールを蹴り飛ばしながらこちらへ駆けて来る。咄嗟に身構えようとするが両手が塞がっている事に気付き、
「だー、なんかもう!」
「開きました! 皆さんこっちへ!」
後ろから聞こえた声に振り向く時間も無い。
迫る男にせめて蹴りでも喰らわせてやろうかと左足を浮かせかけた途端、左腕が後ろへと引っ張られた。翔と男の間に飛び込んだのは、白いフードの女の子、香奈だ。
突然の乱入に男の方も驚き、しかし慌てて捕まえようと両手を伸ばすがそれをすり抜けるように彼女が身をかわし、
「行きますよ! 最初は酔いますから、覚悟だけはしておいて下さい!」
襟首が掴まれ後ろへ引き寄せられる。
それと一緒に香奈がこちらへ下がり、途端、後頭部が掃除機にでも吸われたように強引に引き寄せられる。歩が掴んでいるのは襟首だ。ならこの力はなんなのか。
後ろ向きに世界が別の色に染まっていく。
身体が何かに溶け込むような、世界に同化するような、自分と他を分ける境界線が揺らぐような感覚。これは翔にとって馴染みのあるものだった。これは、そう、魔法を使う第一段階、神秘に身を溶かす、その感覚とまったく同じものだ。
しかし、今まで翔が感じてきたどんな時よりも確かに自分が浸透していくのを感じた。
これで《願い》の篭った何かさえあれば自分の中で最高の魔法が使えるだろう、つい先程までの状況を忘れて暢気にそんな事を考えていた。そしてそれらが、唐突に消え失せる。
「っい、痛ぅ……」
何かに弾かれたように地面へ叩き付けられ、両手の塞がったままの翔は受身も取れずに背中を打ち付けた。頭まで行かなかったのは山道で転び慣れているからだろうか。あまり自慢できる事でもないが。
「頭は大丈夫ですか?」
「いやいきなりそれはひどいって」
平然と立っている歩へ転んだまま目を向ける。
やや戸惑っている風ではあるが、追っ手から逃れられた安心もあるのか幾分落ち着いた雰囲気を取り戻してきていた。
彼は黒縁の眼鏡を指で押し上げ、
「いえ、今通ってきたばかりですので、慣れていないとアレで酔うので」
「ん〜、俺は平気だけど、香奈、大丈夫か?」
ふるふるとフードが揺れた。力無い辺り辛そうだが。
「ともあれだ……」
寝転んだまま空を見上げる。
そこに見えたのは一片の欠けも無い月。更には空一杯に広がる星々。
「つい…さっきまで、裏路地に居たよな」
路地どころか、周囲にあるのは見た事も無い木や大きな草花だ。それ以前に、まだ太陽は高い位置にあった筈で、そもそも夜だというのになぜここまで明るいのか。
「草木が光ってるのか?」
良く見れば、まるで蛍の光のように草や木の葉がほんのりと光を放っていた。
常識では在り得ない光景に翔の脳には一瞬にしてある言葉を浮かべる。ガツン、と頭を横殴りにされたような衝撃が奔る。疲れも、痛みも、何もかもが一気に吹き飛んだ。指先が震え出すのを抑えきれない。
「…………ここって」
「えぇ、ここにはかつて、貴方の義父である藤堂 翼さんも通っていました」
話で聞いたことはあった。どんな場所なのかと想像し、憧れ、求めて止まなかった場所だ。
翔が転んだことで肩から降りた司が力無く立ち上がり、興味無さ気に目を伏せる。いつもであればそれに何かを感じたのだろうが、今の翔にとって目に入るのはこの場所の景色。翼と共に探し回っていた、魔法使いの女の子と約束を交わした場所。
見つかる筈が無かったのだ。
こんな方法で辿り着けるなど考えもしなかった。今までオヤジとしてきた事が否定されたようで、少しだけ悔しくて、しかし、途方も無く何かが込み上げて来て。
「オヤジぃ……」
胸元を掴み、そこから発せられる痛みに身を任せるように大きく息を吐いた。肩を震わせ、言葉を発する。
「着いたぞ、オヤジ」
呼び掛けに応える声はもう無い。
沢山のものを翔へ与えてくれた藤堂 翼は、もうこの世には生きていない。しかし、
「ようやく……」
恥も外聞も無く――――
「辿り着いたんだ」
歩もその姿に何かを感じ取ってくれたのだろう、翔の正面にまっすぐ立ち、利発そうな目を向け、軽く両手を広げる。
満月の夜に包まれ、草木の光に照らされる、この世とは隔絶した神秘の集う場所。
かつて一人の魔法使いの少女と、魔法使いを目指した少年とが出会った。ある約束を結び、しかし果たされる事無く二人は分かたれ、少年は死んだ。
ただ、その意志だけは残り続けている。
藤堂 翔の中に。
意志を持った風が踊るようにして吹き抜け、
「ようこそ”魔法使いの館”へ」
金色に輝く鈴蘭が、福音を響かせた。
※ ※ ※
四人の消えた路地裏にて――――
「門を確認しました。開錠の様子からして、やはり」
ニット帽の男が携帯を手に会話をしていた。一つ角を折れた所では柄物シャツを羽織る男が騒ぎを聞き付けた店の主にこっぴどく怒鳴られている。この構図になった理由を挙げるとすれば、組織としてどちらが上司になるかという話だ。
「はい。目標は確認しました。想定外の人物が二人居たようですが、招待されている以上は警戒すべきかと」
見た目にして二十台後半の、なんの変哲もない井出達。
「調査開始から現在まで判明している門は13箇所。内、各市内中心部、人の密集地で確認されたのはこれで8箇所目。どう見ても、以前から数が激減していますね」
ただ、男の纏う雰囲気が明らかに常人とは違っていた。
「街の様子も随分見て回りましたが、やはりこのままでは…………ええ」
硬質な声に含まれるのは焦りを含んだ苛立ち。
「不透明な動きも多いようですし、増員は一刻も早く」
「っあー、ったく! クソじじいがウルサイのなんのって」
「……分かりました。引き続き、現地人員のみで対処します」
ようやく開放されたらしい後輩を一瞥し、ニット帽の男は電話を切った。昨今ではもう珍しくなりつつある折り畳みもスライドも無い、どころか表示画面すら
小さな必要最低限の機能しか持たない携帯電話だ。アンテナを内蔵せずに伸縮させられる、とでも説明すればどれだけ昔のものか分かるだろうか。
「先輩まぁだそんな古いの使ってるんすか? 絶滅危惧種ですよ、そんなケータイ」
「電話とメールが出来ればそれでいい。ごちゃごちゃと無駄なものが付いたのは好かん」
はいはい、と呆れたような声で頷いた柄物シャツの男は胸ポケットから見せびらかすようにしてタッチ操作式の携帯電話を取り出した。
「どっすか? こないだ出たばっかりの最新式っすよコレ!」
某メーカー商品で発売日に行列、完売したという人気モデル。タッチパネル搭載のせいでどうしても従来より大きくなりがちだったものが一回り小型化され、更にネックだったタッチパネルの反応が強化された事で注目を集めた品だ。
彼は楽しげに手元で携帯を操作してみせ、
「今までは早い操作に反応がおっつかなくてイライラする事もあったんすけど、今回はスイスイ〜って感じなんすよ〜。アプリとかついつい色々ダウンロードしちゃって」
「よくわからん」
「駄目っすよ、魔法使いだって時代に順応していかないと」
「便利ではあるが、そうすぐ物を使い捨てにする風習が好きになれん」
魔法使いは、物に宿った《願い》を届ける。それは持ち主が大事にする程、共にある時間が長い程に強い《願い》が宿る。一概には言えないものの、最初から使い捨ての道具として買っただけの物に宿り難いというのも確かだ。
「で、どしましょか。イレギュラーが混じってましたけど」
二人の視線が共同ゴミ箱へ集まる。
追っていた目標二人プラスアルファの消えた地点。
「監視は続行する。街での証拠を集めるまでの我慢だ」
「脳みそ腐ったじぃさん連中は相変わらずで?」
「お前がこの前、キレてブン殴ってなければな」
「その前に先輩がじいさんの杖片っ端から隠してました」
「俺は犯人が分からないようにやった」
「そういう陰険なのは合わないんすよ」
適当に問答を繰り返した二人は一様にため息。
この大都市とまではいかないにせよ、開発計画のおかげで人口増加が進む都市をたった三人で監視。過去の記録を辿るだけでも一苦労だというのに。
「こう、魔法でぱぱーっと出来たらなぁ、なんて思うわけですよ」
「またファミコ〇の話か」
「〇ァミコンって先輩………今やお父さん方でも言うか怪しいですってソレ!? ま〜そうですね、探知魔法なんて便利なのがあれば部屋でゴロゴロしながら仕事が出来るんでしょうが」
「お前がなぜ神秘を読み取れるのか、たまに疑問に思うんだが」
「読み取れるだけっすけどね!」
神秘を読み取るだけなら、ある一定状況下で過ごせばそれなりな確率で可能となる。科学信仰と揶揄される現代ではその確率もごく僅かと言えるのだが。
そこから《願い》を届ける段階までいくとなると難易度は一気に跳ね上がる。
「にしても、まだ信じられないんスけどね」
なにがだ、とニット帽の男は問わなかった。カビ臭い路地裏に一時の静寂が流れ、柄物シャツの男は目標の消えていった虚空を眺めて一息。
「このままいくと、十年前の大火災がまた起きるって話」
※ ※ ※
蛍のように光を放つ蝶が目の前を横切り、途端に翔が歓声をあげた。
先行く歩の動きに合わせて木々が生きているかのように道を開け、流れる小川の上に掛けられた透明な橋は触れた面から波紋のように光が広がってそれが確かに橋の形をしているのだと教えてくれる。
再び踏み締めた道の脇、翔の掌ほどの大きさもある花弁がこちらを煽いで、心地良い風を送ってくれる。と、そちらへ目を奪われていれば、頭上から伸びてきた木の枝が先端についたリンゴに似た果物を差し出すようにしていた。
「貰っていいのかな!?」
目を輝かせながら翔が問うと、
「歓迎されてるみたいですね。どうぞ。あまりこちらの食物に慣れると向こうの食事が口に入らなくなりますから注意………」
「んあ? なんか言ったか?」
ハムスターよろしく口一杯に果物を詰め込んでいる翔を見て言葉を止めた歩は、肺に残った空気を言葉ではなくため息へ変換した。
その日暮しの多い翔は基本的に食べられる時に食べられるだけ食べる主義である。それだけに朝食の途中で放り出してきたというのがなんとも口惜しい。
「うはあ!! うめえ!! ……っ、んん!! んんん!! んーんんん!!」
「いいですそのまま食べてて下さい」
「んんんんんんんっ!!」
おう兄ちゃん良い食いっぷりじゃないか。そんな言葉から次々果物を差し出してくる木々から聞こえた気がした。
「多少懸念はありましたけど、アナタはここによく馴染むみたいですね」
「んーんんん!?」
「そうです。”魔法使いの館”は、管理者である魔法使いの影響を受けやすい。異なる方式で行われる魔法とはソリが合わない事もあると聞いていましたから」
「っ、あー、うめえ!! ふむ、下手すれば叩き出されてた可能性もあるってことか」
「この歓迎振りからするに、アナタは管理者の魔法使いからも相当に気に入られているって事かもしれません」
「管理者っていうのは誰なの?」
微妙な質問だったかと翔は思う。だがまどろっこしく調べても分かる事を分からない事もある。ならば聞ける時に聞くべきかもしれない、今はそう思えた。
念願の場所に来れたという興奮も手伝っていたかもしれない。
「現在の管理者は天野 唯。僕のお師匠様です」
「その前の管理者は、司さんなんじゃないですか?」
だからだろう、躊躇っていた問いが素直に出た。
完全な傍観者の位置に居た司へ向き直っての問いに、彼女は重たいものを吐き出すように言葉を紡ぐ。ずるずると引き摺るような声で。
「そう。私に力が無くなったから唯に譲った」
途端、その身が崩れ落ちた。
「司さん!」
思わず伸ばした手が空を切り、
「いけない!!」
歩の焦った声が背を叩き、
「っ、なんだ!?」
目の前の異様に、翔は息を呑んだ。
木々が司を取り込むようにして枝葉を絡ませ、森の奥へ引きずり込もうとしていたのだ。
「ざけんじゃねえぞオイ!!」
「こんな動き今まで見たことが……どうして!?」
「いいから手伝え、ったく、なんだこの枝、むちゃくちゃ硬いぞ!?」
「腕力だけじゃ駄目です! 《願い》を込めて! ここはそういう場所です!!」
「《願い》……そういうことなら!!」
魔法を使うときと同じ。今回はあくまで自分の《願い》なので共感の仮定はすっとばし、強く、強く想いを念じる。届けと、今も司を引きずり込もうとする枝へ向けて想いを伝えた。
パキ、あまりにも呆気無く掴んでいた枝が折れる。
それと同時に周囲の枝も離れて行き、翔はふと手元に残った枝を翳してみる。
「おぉ」
枝はみるみる形を変え、一振りの木刀と化す。
「……何考えてるんですか」
「え? いや、だって思うだろ!? 男なら長物持つと武器みたいに振り回したいとかってさあ!?」
「思いません」
ええ!? と翔は他へ目を向けるも、生憎その場の男は翔と歩だけであり、
「んん……疲れた」
「…………」
脱力系元魔法使いと鬱系謎少女はさしたる興味すら示さない。
「ちくしょう……オヤジなら嬉々として打ち込んでくる所なのに!」
言いつつ木刀を握り締め、満足げに一度翳してみる。
自然と顔が緩んだ。
「行きますよ」
歩の声が一層冷たくなった。
※ ※ ※
先行く三人から目を外し、司は背後を振り返る。
”魔法使いの館”。世界でも数少ない魔法の結晶体。管理者の精神から強い影響を受け、姿形さえも変わってしまう。
かつて司が居た頃はいつだって静まり返っていた。
静謐な、と誰かが言っていた気がする。
けれど結局は寂しげだという事に変わりは無い。
今のここはどうだろう。
きっと、これが唯の内面。
司への悪戯もすぐに収まった。
ならばきっと――――
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